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メディカル・カフェのご案内

この命も誰かが生きたかった命 樋野興夫先生コラムから:第2回「一億本の向日葵」より

『この命も誰かが生きたかった命』。治療がつらく心が押しつぶされそうになった時に、呪文のように唱えていた。」血液のがんで共に闘った4人の女性がカフェに立ち寄った際に語られたこの言葉。最初は、その人自身がご自分を叱咤激励しているようで、少し責める言葉のようにも感じた。でもなぜかその言葉は私の頭から離れることなく、心地よく繰り返されていた。
『この命も誰かが生きたかった命』
『この命も誰かが生きたかった命』
今ではこの言葉を思い出す度に、体温のような温かささえ感じる。がんという病と共に生きる私の、そして出会った仲間の命が、本当に尊くかけがえのないものであると体感を持って教えてくれた言葉であった。 どんなにいい言葉であっても受け取れない時がある。言葉は変化しないけれど、自分が変化し、その言葉を一番いい形で受け取れる時がくる。短時間ではあったけれど、変化しうる自分という希望の種も一緒に受け取ることができたことは、実行委員として取り組んだ自分へのご褒美になりました♪ ひまわり担当 斉藤智恵美 上記の樋野先生のコラムを読んだ多くの患者さんの心にしみこんだ言葉だと思います。
『この命も誰かが生きたかった命』
『この命も誰かが生きたかった命』。

がん哲学外来について(一般社団法人 がん哲学外来HPより)

多くの人は、自分自身又は家族など身近な人ががんにかかった時に初めて死というものを意識し、それと同時に、自分がこれまでいかに生きてきたか、これからどう生きるべきか、死ぬまでに何をなすべきかを真剣に考えます。 一方、医療現場は患者の病状や治療の説明をすることに手一杯で、がん患者やその家族の精神的苦痛までを軽減させることができないのが現状です。 そういった医療現場と患者の間にある「隙間」を埋めるべく、「がん哲学外来」が生まれました。科学としてのがん学を学びながら、がんに哲学的な考え方を取り入れていくという立場です。 しかし、その「隙間」を埋めるのは、病院や医療機関に限らず、集まりやすい場所で、立場を越えて集う交流の場を作ることで始まりました。そしてその活動を全国へ展開をしていくことを目指し、2009年に樋野先生を理事長に「特定非営利活動法人(NPO法人)がん哲学外来」が設立されました。 また、「隙間」を埋める活動を担う人材の育成と活動の推進をするために、2011年「がん哲学市民学会」が市民によって設立し、「がん哲学外来コーディネーター」養成講座が始まりました。 こうして「がん哲学外来」が、「対話の場」であるメディカルカフェという形で全国に広がり、現在ではメディアで取り上げられるほど注目されるようになりました。また、地域の有志による運営、病院での常設などに加え、さまざまな形での協力を行う企業も増えてきました。 これらの活動を支援し、がん患者が安心して参加できる場を提供できるよう、NPO法人がん哲学外来は2013年7月3日「一般社団法人がん哲学外来」となり、一組織として、関係する方々をしっかりサポートしていくこととなりました。 「がんであっても尊厳を持って人生を生き切ることのできる社会」の実現を目指し、より多くのがん患者が、垣根を越えた様々な方との対話により、「病気であっても、病人ではない」安心した人生を送れるよう寄り添っていきたいと思っております。

人は人で傷つく。 ただし同時に生きる力ももらえる。

樋野興夫先生の著書:「今日という日の花を摘む」から抜粋しました。 人は人で傷つく。ただし同時に生きる力ももらえる。 樋野先生のおっしゃるとおりなんですが、この言葉の意味を理解することはちょっとしんどいかなと思います。 「人に関心を持てば、寄り添うことが当たり前になる」と樋野先生は書いていらっしゃいます。しかし、親が自分の子供に関心を持つことは当然として、自分以外の人間に関心を持つことはなかなか難しいことですし、ましてや自分が弱くなっている時に誰かに関心を持つなんてとてもとても……。 自分のことでいっぱいいっぱいの状況は、病気のせいで弱くなっていたり、他人の言葉で傷ついていたりしている時は特に引きこもり状態になってしまいます。 それでも自分を必要としている「誰か」がいるのだから、その「誰か」に寄り添ってあげなさいと。 でも、弱くなっている自分、自信をなくしてしまった自分と同じ状況の人とはベクトルが合うかも知れない。元気な人と一緒にいるより、ちょっと辛そうな人がいたら声をかけてあげると、意外なプラス方向が見えてくるかもしれない。思い切って話してみるのもいいかもしれない。