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メディカル・カフェのご案内

多くの人は、自分自身または家族など身近な人が「がん」にかかった時に自分がこれまでいかに生きてきたか、これからどう生きるべきか、何をなすべきかを真剣に考えます。一方、医療現場は患者の病状や治療の説明をすることに手一杯で、がん患者やその家族の精神的苦痛までを軽減させることができないのが現状です。 そういった医療現場と患者の間にある「隙間」を埋めるべく、「がん哲学外来」が生まれました。科学としてのがん学を学び、がんに哲学的な考え方を取り入れながら、それぞれの立場で話し合えるスペースがメディカル・カフェです

教会でメディカル・カフェ

横浜磯子教会 中村 清 主任牧師から皆さまへ
横浜磯子教会・前任の藤崎三牧
(ふじさき さんぼく)牧師召天
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

横浜磯子教会四代目牧師・藤崎三牧牧師が2018年9月16日(日)午後4時45分に胆のうがんのために天に召されまた。64歳でした。横浜磯子教会では、「第1回がん哲学外来・メディカルカフェin横浜磯子」が行われ、片付けも終了し最後の感謝の祈りがささげられた時間でした。 藤崎牧師は、横浜磯子教会で1993~2000年までの7年間牧会(現在は日本キリスト教団代々木教会)されました。 藤崎牧師は、牧師家庭に生まれ、両親は三代目の牧師になるようにと「三牧(さんぼく)」と命名。ところが、三牧さんはそれに逆らい牧師の道には進まず信用金庫に就職。主の道に反抗していた三牧さんが、牧師の道を歩み始めたのは、妹のるつ記さんのあの出来事のあとです。 るつ記さんは、アジアの貧しい人々のために働きたいとの夢と希望を抱き、それを実現するためにフィリピンに渡り、勉学に励まれました。1983年4月2日フィリピン・ルソン島のボトランで、溺れかけた二人のフィリピン人友人を助けようとして、自らは命を失いました。るつ記さん24歳でした。この出来事が、三牧先生の心を大きく変え、10ヶ月後に信仰告白を。そしてその1年後に神学校へ。牧師の道へと大きく道を変えられたのです。名前の通り、三代目の牧師(三牧)となったのです。  まさに「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12章24節)の言葉のとおりです。  三代目の信仰者ということで、藤崎先生の信仰は芯のあるものでした。代々木教会でもそうですが、「教会はだれでも来て言いというものではない。礼拝に生きる者がそこで礼拝をささげることが大事。自分の都合と自分の気分できてもらっては困る…」(この葬儀でもこのような意味の話が弔辞の中で語られていました)。からだに浸透している信仰と、芯のしっかりとした柱のある信仰であることを感じます。病となり入院生活をしていてもベットのところに並べられるだけの本を並べ、そこでも聖書の学びをしておられたとのこと。信仰者としての生き方について多くのことをわたしたちに示し教えてくださいました。【2018年9月24日  中村 清】
「祈りの家」 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしも共にいるのである」
マタイによる福音書18章20節
いよいよ「第1回 メディカルカフェin磯子」まで、1ケ月を切りました。今週は、近隣の方々の家にも、このメディカルカフェのお知らせを配ろうと準備しています。すでに何軒かの家をお訪しましたら、1件の参加申し込みをいただきました。 またこのホームページを見た方から、参加申し込みもいただきました。わたしたちも、メディカルカフェのために祈って準備を進めていきたいと思っています。月一回行っていた「メディカルカフェ学習会・準備会」も7月からは月2回と増やして、このための準備にあたっています。次回のメディカル・カフェ準備学習会は9月13日(木)、午後5時から6時までの予定です。
さて、上記の聖句は「ローズンゲン」の本日(8月23日)の聖書箇所です。
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしも共にいるのである」。昨日、お隣の教会の信者の方(教会役員をされている女性の方)に久しぶりに会いました。彼女は長き間、家族の看病をされていましたが、先日、愛する家族を亡くされました。介護の疲れも大きかったと思います。彼女は最近急激にやせられて、わたしも心配していました。
お会いし、わたしが「たいへんでしたね」と言うと、彼女は「実はわたし手術を受け土曜日まで入院してたんです…」と。「腹部の痛みが強く、とてもつらかったのですが、その時わたしの目に浮かんだのは、教会の皆さんがわたしのために真剣に祈っている姿でした」と話されました。
そして続けざまに「緊急で休日の日に入院したのですが、すぐに何人かのドクターが診てくださり、これはすぐに手術しなければと、翌日緊急手術を受けたのです」と。
そして「先日の土曜日に退院したのですが、翌日(昨日の日曜日)教会の礼拝に出席してきました」と。
教会の皆さんの祈りがあるということは、どんなに大きな支えとるか。そしてその祈りの中心にイエス・キリストがおられ、このわたしを支えてくださる。彼女はこの大きな支えを病の中で感じとり、励まされたのでした。
教会にはこの祈りがあります。この祈りの中心にはキリストがおられます。
ぜひ、みなさんもこの祈りの共同体に来てみてください。 (中村 清)
ダビデの賛歌 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。(詩篇23:1〜4)
【聖書の言葉】  今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はない。  ヨハネによる福音書16章22節
「いよいよメディカル・カフェ開催」
 横浜磯子教会では、2年前の2016年度「メディカル・カフェを開催したい」と声を上げ、翌2017年度より準備のための「メディカル・カフェ学習会」が行なわれるようになり、今年9月16日(日)第1回メディカル・カフェの開催と決まりました。樋野興夫先生をお迎えして行ないます。  樋野先生の編著『がん哲学外来で処方箋を カフェと出会った24人』という本の中で、樋野先生は、「教会をがん患者の受け皿に」という文章を書いています。サブタイトルには「3分しか相談できない教会?」となっています。本来教会は、このような方々がゆったりと過ごせて、体も魂も休息を与えられる場所となるべきところ。しかし、横浜磯子教会も現実は忙しく動き回り、ゆっくり休息できる場となっていないというのが現実です。
 わたしたちはメディカル・カフェを開いて、がんで悩む方々や家族の方々が力を得て、立ち上がることができる場となるようにと願い、今、カフェ開催の準備をしています。
 上記の聖句は、『ローズンゲン』(日々の聖句)という本に記されている9月16日(日)の言葉。9月16日は当教会がメディカル・カフェを開催する日です。この日、この聖句のように、悲しんでいる者が、このカフェでの出会いによって、喜ぶ者に変えられるようにと願っています。悲しみを共に負ってくださるお方がいてくださいます。きっと新たな力を得ることができます。皆さんのお越しをお待ちしております。
2018年6月3日 中村 清 

第1回 メディカル・カフェin横浜磯子を終えて

この命も誰かが生きたかった命

樋野興夫先生コラムから:第2回「一億本の向日葵」
樋野先生の「朝日がん大賞」受賞、どあらっこの「日本対がん協会賞 団体」受賞とここ最近とても喜ばしいことが続いている。この賞を授与している日本対がん協会の取り組みの一つに「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」というがん征圧の24時間チャリティーイベントがある。世界、そして日本の様々な地域で行われており、私も信州まつもとの実行委員としてこの活動に関わらせて頂いている。多くの方々のご支援やご協力を頂きながら、今年も9月8日㈯・9日㈰に開催した。ご参加下さった方々と共に過ごした命の時間は多くの感動を与えてくれました。
当日の会場で行ったカフェ。そこでの命と本気で向き合っている方々との語り合いは私の中に大きな種を残してくれた。
『この命も誰かが生きたかった命』。治療がつらく心が押しつぶされそうになった時に、呪文のように唱えていた。」血液のがんで共に闘った4人の女性がカフェに立ち寄った際に語られたこの言葉。最初は、その人自身がご自分を叱咤激励しているようで、少し責める言葉のようにも感じた。でもなぜかその言葉は私の頭から離れることなく、心地よく繰り返されていた。
『この命も誰かが生きたかった命』
『この命も誰かが生きたかった命』
今ではこの言葉を思い出す度に、体温のような温かささえ感じる。がんという病と共に生きる私の、そして出会った仲間の命が、本当に尊くかけがえのないものであると体感を持って教えてくれた言葉であった。
どんなにいい言葉であっても受け取れない時がある。言葉は変化しないけれど、自分が変化し、その言葉を一番いい形で受け取れる時がくる。短時間ではあったけれど、変化しうる自分という希望の種も一緒に受け取ることができたことは、実行委員として取り組んだ自分へのご褒美になりました♪
ひまわり担当 斉藤智恵美
第1回メディカル・カフェin横浜磯子には、当教会のメンバーや取材の方々も含め70名ほどの多くの方々がいらっしゃいました。
感謝です。
上記の樋野先生のコラムを読んだ多くの患者さんの心にしみこんだ言葉だと思います。
『この命も誰かが生きたかった命』
『この命も誰かが生きたかった命』

樋野先生のお話から ①

人は人で傷つく。 ただし同時に生きる力ももらえる。

樋野興夫先生の著書:「今日という日の花を摘む」から抜粋しました。
人は人で傷つく。ただし同時に生きる力ももらえる。 樋野先生のおっしゃるとおりなんですが、この言葉の意味を理解することはちょっとしんどいかなと思います。
「人に関心を持てば、寄り添うことが当たり前になる」と樋野先生は書いていらっしゃいます。しかし、親が自分の子供に関心を持つことは当然として、自分以外の人間に関心を持つことはなかなか難しいことですし、ましてや自分が弱くなっている時に誰かに関心を持つなんてとてもとても……。
自分のことでいっぱいいっぱいの状況は、病気のせいで弱くなっていたり、他人の言葉で傷ついていたりしている時は特に引きこもり状態になってしまいます。
それでも自分を必要としている「誰か」がいるのだから、その「誰か」に寄り添ってあげなさいと。 でも、弱くなっている自分、自信をなくしてしまった自分と同じ状況の人とはベクトルが合うかも知れない。元気な人と一緒にいるより、ちょっと辛そうな人がいたら声をかけてあげると、意外なプラス方向が見えてくるかもしれない。思い切って話してみるのもいいかもしれない。

がん哲学外来について(一般社団法人 がん哲学外来HPより)

多くの人は、自分自身又は家族など身近な人ががんにかかった時に初めて死というものを意識し、それと同時に、自分がこれまでいかに生きてきたか、これからどう生きるべきか、死ぬまでに何をなすべきかを真剣に考えます。
一方、医療現場は患者の病状や治療の説明をすることに手一杯で、がん患者やその家族の精神的苦痛までを軽減させることができないのが現状です。 そういった医療現場と患者の間にある「隙間」を埋めるべく、「がん哲学外来」が生まれました。科学としてのがん学を学びながら、がんに哲学的な考え方を取り入れていくという立場です。
しかし、その「隙間」を埋めるのは、病院や医療機関に限らず、集まりやすい場所で、立場を越えて集う交流の場を作ることで始まりました。そしてその活動を全国へ展開をしていくことを目指し、2009年に樋野先生を理事長に「特定非営利活動法人(NPO法人)がん哲学外来」が設立されました。
また、「隙間」を埋める活動を担う人材の育成と活動の推進をするために、2011年「がん哲学市民学会」が市民によって設立し、「がん哲学外来コーディネーター」養成講座が始まりました。
こうして「がん哲学外来」が、「対話の場」であるメディカルカフェという形で全国に広がり、現在ではメディアで取り上げられるほど注目されるようになりました。また、地域の有志による運営、病院での常設などに加え、さまざまな形での協力を行う企業も増えてきました。
これらの活動を支援し、がん患者が安心して参加できる場を提供できるよう、NPO法人がん哲学外来は2013年7月3日「一般社団法人がん哲学外来」となり、一組織として、関係する方々をしっかりサポートしていくこととなりました。
「がんであっても尊厳を持って人生を生き切ることのできる社会」の実現を目指し、より多くのがん患者が、垣根を越えた様々な方との対話により、「病気であっても、病人ではない」安心した人生を送れるよう寄り添っていきたいと思っております。

樋野先生のお話から ②

8月25日(土)OCCメディカル・カフェに行ってきました。

横浜磯子教会第一回メディカル・カフェ開催のための勉強にと、久しぶりにお茶の水クリスチャンセンタ-のがん哲学・メディカル・カフェに参加しました。
樋野先生と総合司会の榊原先生の息の合ったトークとプログラムの進行は、いつ見ても聞いても楽しい。
さて、勝海舟と福沢諭吉と云えば、仲が悪かった間柄として広く知られているところです。
この二人の関係を樋野先生は、「ここにいるかもしれない慶應卒の方々には申し訳ないが……」と前置きしてから、
勝海舟は福沢のことを良くは思っていなかった。危ないときには隠れていた、それでいて後になってから色々云うのさ。相場とか金儲けの好きな男だよ。などなどとこき下ろしています。
ただ、福沢が亡くなる前年、勝海舟や榎本武揚を批判した「瘦我慢の記」を刊行する前に、「内容に誤りがあっては失礼なので、原稿をお読みになって何かあったらご指摘ください」と依頼した福沢に勝は「自分はおのれのやったことに確信があります。批判は自由。それで自分の考えを変えることはありません。しかし、あなたのような高名な学者に批評されるのは、むしろ私の名誉かもしれません」と答えたそうです。勝海舟は福沢の批判に対しては「蚤や虱(しらみ)がちょっと背中を刺しただけ、気にするな、ほっておけ」と一蹴したそうです。人物ですよね、勝って男は。
何か新しいことや正しいことをやろうと思うと、いろんな人がいろんなことを言って来る。それでいいんです。「蚤や虱(しらみ)がちょっと肩を刺しただけ、気にするな、ほっておけ」と勝のように云えばいいんです。
私たち横浜磯子教会も「我が陣営をでて外に向かって進み、社会に奉仕する」姿勢を忘れず恐れず、前進する決意を新たにした一日でした。